【松田隆智】我が青春の中国拳法 伝道師

公開日 : / 更新日 :

コアなカンフーファンならば、最低一度は耳にする人物「松田隆智まつだりゅうち」氏。
残念ながら、2013年に鬼籍に入られてしまったが、氏の伝えてきた武術魂は今なお色褪せることなく輝いている。
そんな松田隆智氏が残してきた様々なことを改めて紹介したい。

松田隆智の武術人生

男として波乱万丈な人生を歩んだ松田隆智氏。彼はとにかく一撃で相手を倒せる武術を求めてさすらうことになるのだが、そのことが日本には未知の世界だったカンフーの世界を我々に紹介することにも繋がっていった。筆者のようなカンフーファンは、松田氏なくしてはあり得なかったと言える。

そんな松田氏の人生を簡単ではあるが、紹介していきたい。

日本武術の時代

1938年6月6日、愛知県にて生まれた松田氏の武術人生は、中学二年の和道流空手より始まる。高校生なり松濤館空手に通い、この時期新陰流の柳生厳長師範を訪問などもしている。
1955年になると、まだ極真空手ではなく大山道場時代、大山倍達師範の自宅を訪ね、夏・冬の休みを利用して自宅に泊まり込みで空手を学習する。

松田氏の行動力は半端なく、高校の修学旅行に行かず、そのお金で鹿児島の示現流剣術の東郷重政師範を訪ねている。このとき触れた示現流の精神は、松田氏の中心に位置し、以後その風格を求めて武術放浪することとなる。
高校卒業後、トヨタ自動車に就職後も空手の稽古、ボクシングジムでスパーリングなど研鑽を重ねたのち、1959年 大東流合気柔術佐川道場入門。

この佐川幸義師範を後に松田氏が書籍で紹介したことにより、とても有名になるのだが、触れた相手の力を抜き人をポイポイと投げるなど、最後の達人としてその伝説は今も語り継がれている。

中国拳法入門(台湾学習時代)

1967年、東京に移住し極真三段となったのち、佐藤金兵衛師範より最初の中国拳法を学ぶ。その後、第一回全日本空手道選手権大会の祝賀演武で観た「洪懿祥こういしょう」氏の形意拳に感銘し、氏が日本に滞在していた2ヶ月間に渡り形意拳を学ぶ。
1970年より4年間、台湾にて本格的な中国拳法修行を開始。

形意拳を学ぶ為、洪懿祥氏を訪ねて台湾に行った松田氏。日本で懇意にしていたこともあり、特別に古い弟子たちと同じ、伝統的練習法を教授される。地元の他学習者たちが派手な蹴り技などの練習をするなか、地味な基本をやらせることは当初は不安を隠せなかったそう。
その伝統的な練習法は基本である劈拳をユックリと行い静止する訓練(中国武術では慢練という)をじっくり行った後、五行連環拳、四把捶、八勢、対打(いわゆる約束組手)を学ぶ。

まだ日本は中国と国交正常化前、中国武術の情報は中国の書籍か台湾でしか入手できない時代、相手を翻弄して倒すという謎の武術「迷蹤芸」に心惹かれていく。
たまたま見つけた一冊の書物「螳螂崩歩拳」の著者、蘇昆明(後の蘇昱彰氏)の師が迷蹤芸の達人であることを知り、蘇氏に手紙を送っていた。

台湾での形意拳学習を終え、日本に帰宅した松田氏の元に届いた蘇氏から「台湾に来られたし」との連絡を受け再び訪台。
当時、台湾総統であった李登輝氏のシークレットサービスの武術教師であった「劉雲樵りゅううんしょう」氏を紹介され、尚且つ到着したその日には、当時一般人でさえ学ぶことが許されていなかった八極拳を、日本人でありながら学ぶという奇跡を起こす。

当初の目的としては「迷蹤芸」ではあったものの、蘇昱彰氏の文献でしか見聞したことのないような数々の実戦技法を目の当たりにし、拝師(正式弟子)となる。
以後、4年間に渡り訪台を繰り返し、劉雲樵氏から、八極拳・燕青拳・八卦掌、師伯である徐紀氏から陳式太極拳。師の蘇昱彰氏からは螳螂拳・八極拳、形意拳などを学習している。
まだ武術が実戦で使われていたこの時代、生で一撃で相手を昏倒させる様を観てきた松田氏の中国武術観はここで養われたと行っても過言ではない。

1971年 台湾からの帰国後、真言宗の僧侶として得度。以後、中国武術の紹介を書籍にて発表。
1973年の「燃えよドラゴン」公開に伴いカンフーブーム到来。「謎の中国空手の男」だったブルース・リーを、正当な詠春拳の門人であることをなどを映画雑誌にて紹介する。
1974年には少年サンデー連載「男組」の監修として携わる。八極拳や太極拳など、各種中国拳法が登場し、中でも李書文の得意技である「猛虎硬爬山」が登場し当時の少年たちを熱くさせた。

1975年自身の武術遍歴を語った自伝「謎の拳法を求めて」を発行。「気」や「発勁」など自身の体験や学習を元に発表したが、日本の武術界からは「そんなものは存在しない、惑わすな!」と多くの批判を浴びた。しかし時を得て、実際に体得するものが現れた現代、一般的な言葉としてもはや普及しているのである。

1979年、サンフランシスコに移住した徐紀氏を訪ね、陳式太極拳小架式を学習。この時期フジテレビの特撮「メガロマン」で武術指導をしている。
1980年、訪中し西安や少林寺などを訪ね、陳家溝19世の陳小旺氏と出会い知遇をえる。また、この年はフジテレビの「ひらけ!ポンキッキ」、NHK「こちら600情報局」などに出演し、螳螂拳や陳式太極拳などを披露している。

▲「ひらけ!ポンキッキ」の懐かしいカンフーレディでの演武

▲「こちら600情報局」登場時の貴重な映像

1982年外国人初の滄県訪問。孟村にて八極門の宗家、呉連枝氏と初対面、このことにより、八極拳と呉連枝氏は中国でも有名となっていった。
映画少林寺公開に伴い、中国武術が多いに盛り上がる中、日本初の中国武術専門、季刊誌『武術』を創刊する、この頃、刑事物語にて武田鉄矢氏に螳螂拳を指導(劇中のハンガーヌンチャクは武田氏の自作)。

大陸放浪編

1983年以降は本格的に大陸での武術学習を始める。「武術」の企画と合わせて、中国への武術学習団を結成する。
この時に馬賢達氏から翻子拳、通備八極拳を学んだことで馬家武術に傾倒し、後に馬賢達氏に拝師する。
その後は各氏より陳式太極拳、通備八極拳、強氏八極拳、心意六合拳などを学習。都度、雑誌・書籍にて発表を繰り返していく。

この頃に紹介された多くの武術を日本人が各々学習し、正式な武術が日本にも多く伝承されていった。

1987年、カンフーの技術や情報を公開していくなか、中部大学工学部助教授(当時)の吉福康郎の要請で、発勁(寸勁)衝撃力測定実験に協力し、発勁の存在を証明する。
数回の実験中に、100kgの装置を寸勁(3cmの距離で打つ突き)によって壁まで数メートル吹き飛ばし激突させている。

晩年期

2003年から形意拳の崩拳100万回の行を開始。翌年には達成している。2004年になり来日した呉連枝と再開、以後毎年宗家の八極拳を学習していく。またこの年、次の修行として八極拳の冲捶100万回の行の開始。翌2005年には達成している。その後、1000万回の行を自らに課すも、2013年、グランドマスターのパンフレット解説文寄稿を最後に、
7月24日 急性心筋梗塞の為死去

松田氏の紹介してきた中国ケンプたち

「武術(福昌堂)」・「武藝(BABジャパン)」・「秘伝(BABジャパン)」など各種武術雑誌を中心に、様々な中国武術を発掘・紹介してきた松田隆智氏。
日本ではまだ太極拳が知られているぐらいで、健康体操としての認識しかなかったという時代に、様々な中国武術を書籍等で紹介していた武術研究家としての側面が、多くの人にとっての氏のイメージではないだろうか。
ここでは、松田氏が紹介してきた様々な武術の一部を紹介してみたい。

形意拳

松田氏が、初めに本格的に触れた中国武術はこの形意拳である。
シンプルにして巧妙、奥深いこの拳法は、中国では実戦武術としても有名で、この拳法を学んだ王向斉が套路(型)を廃した革新的な武術、その名も「意拳」を創始。
その意拳を外国人として唯一、王向斉の直弟子として学んだ澤井健一氏が日本に戻り創始した「大気至誠拳法」は超実戦武術をして有名で、多くの極真空手出身者がその門をくぐっている。

多くの名人を排出した形意拳だが、すべての対戦において、崩拳の一撃で葬ってきた「半歩崩拳あまねく天下を打つ」と称された、郭雲深がとくに有名である。

八極拳

質実純朴・発勁凶猛で知られるこの八極拳は、松田氏の紹介により日本はおろか本場中国でさえ有名な拳法として名を馳せていく。
特に、実戦名人として名高い「李書文りしょぶん」は、「二の打ち要らず、一つあれば事足りる」と称され恐れられた。

螳螂拳

松田氏は台湾時代、各種螳螂拳を修めた蘇昱彰氏より学んでいた。
一吐五打(一息吐く間に五発打つ)と言われるぐらい素早いスピードを重視したこの武術は、清の初期、山東省出身の「王朗」という人物が、当時の十八門派を総合して創始したといわれている。
現在は様々に分派し、七星蟷螂拳・梅花蟷螂拳・秘門蟷螂拳、六合蟷螂拳、八歩蟷螂拳など数多く存在し、中国全土に普及した有名な拳法である。

劈掛拳

腕を振り下ろす(劈)と、腕を打ち上げる(掛)の名の通り、両腕を風車のように回して側面や背後に攻め入り、遠距離からの攻撃を得意とする。
「八極参劈掛、神鬼都害怕(八極に劈掛を加えれば、鬼神すら恐れる)」といわれ、相性の良い八極拳と併修する門派は多い。

劈掛拳で有名なのは、馬家に伝わる通備拳が有名である。

秘宗拳

別名を「迷蹤芸」または「燕青拳」といい、複雑な歩法(フットワーク)を用いて身を翻したり、急にしゃがんだりなどで相手を翻弄することで有名なこの武術。
松田氏が魅了され、学習を熱望した武術がこの秘宗拳である。創始者を秘匿したことからこの名がついたとも言われている。

陳氏太極拳

恐らく世界で一番有名なカンフーといえば、太極拳ではなかろうか?日本で最も普及したのは、中国が国策として制定した簡化太極拳(二十四式太極拳)である。
もともと楊露禅が創始した楊式太極拳を元に、誰でも練習しやすいように健康体操として制定されたもの。その優美でゆったりとした動きは高年齢層を中心に現在でも多くの教室が存在する。

メディアでも健康体操としての紹介が多いこの太極拳だが、もともと日本で最初に紹介された太極拳は台湾の王樹金の正宗太極拳である。

太極拳など一通りの演武を終えた老師は、大胆にも自ら会場に呼びかけた。「我と思わん者は、私を突いてきなさい」。その言葉を聞いて、数人の屈強な武道家が壇上に上がり、、次から次へと老師に挑みかかった。渾身の力を込めて老師の腹を突く者は、次の瞬間舞台の袖まで弾き飛ばされ、結局、多くの者達が手首を挫くなど身体を痛める結果となった。一方、老師は武道家達の突きや蹴りが身体に容赦なく打ち込まれても、微動だにすることなく、泰然自若としており、日本武道家たちに大きな衝撃を与えた。

上記は初来日の際のエピソードであるが、その実力をいかんなく発揮した王樹金は日本の武術界ではもはや伝説となっている。
そんな中、台湾に渡った松田氏は劉雲樵の弟子の徐紀氏によって、すべての太極拳の源流となった陳式太極拳を伝授される。
帰国後、日本で陳式太極拳を発表するとそんな太極拳など聞いたこともない、偽物だ!!と非難されたそうである。

この陳式太極拳は、武術としての特色を色濃く残し、激しく行うことがその特徴である。
もちろん一般的に知られている楊式太極拳のようにゆっくりと動く(慢練)ことも行っており、その目的は呼吸・動作などを一致させるための訓練となっている。

まとめ

フラフラといろんな武術に手を出しているだけのように見える、松田隆智氏だが、その目的は一貫していてブレてはいない。

「一撃で倒す方法と、必ず当てる方法を知ること」

気難しく、誰彼にでも技術を伝えることない伝統の武術家たちがなぜか松田氏には胸襟を開き伝えていく。
そんな、松田氏に直接お会いしたことはないものの、筆者の人生を大きく変えた人物をいまだに尊敬してやまない。

それでは、またお会いしましょう。再見ツァイツェン!!

ハニー丸蔵

ハニー丸蔵 団員

睡眠の次にカンフー大好き。

コメント

  • コメントはまだありません