【李書文】日本でも有名な伝説の武術家 李書文とは【英雄列伝 第1回】

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「拳児」世代ならば、間違いなく知っている李書文。今では、ゲーム・アニメ、漫画など各メディアでその名とその武芸・八極拳は知られるとこだが、本国の中国では元々それほど有名ではなかったのである。
そんな李書文とは何者なのか?改めて紹介してみたい。

李書文 略歴

李書文は、1864年 武術の郷として名高い河北省滄州の農村で生まれる。畑を耕すのは性に合わねえ、俺は芸で見を立てんぞ!!とでも思ったのか、李は演劇の世界に身を当時始める。
もともと負けん気の強い李書文は、たまたま立ち寄った武館の練習を見ていただけで、気に入らねぇとボコボコにされてしまう。よほど、態度が悪かったのか目つきが悪かったのか不明だが……

復讐を誓った李は地元に帰り、黄四海/張景星/金殿臣の各老師より八極拳を、黄林彪より劈掛掌を学習。狂ったように練磨して、その実力はうなぎのぼりで上昇し、老師たちも一目置くようになっていった。(もちろん、先述のやつらはボコボコにされた。)
短気で手加減を知らない李書文は、すぐに相手を怪我させ、なんなら殺傷してしまう程であり、あだ名も「李狠子(凶暴な李)」と呼ばれるほどである。

背も低く小柄で痩せていたため皆バカにしていたが、実は怪力の持ち主であり、100kgの石製ローラーを2mの段差がある畑に投げ上げていた逸話もある。
中国で辛亥革命があった後、中華民国の袁世凱大総統により天津に多くの武術家が教師として集められた際、師の黄四海の勧めで李書文は武術教師として赴いた。

袁世凱の名により設立された「天津中華武士會」は、会長に大総統府親衛隊の武術教官である李瑞東(楊式太極拳)を、副会長に馬鳳図(通備拳)を迎え、李書文もそこで教鞭を奮っていた。
その後、袁世凱の死去に伴い「天津中華武士會」は解体されたが、既に実力を認められてた李書文は、地方の各軍閥に招聘され多くの弟子を育てていった。

各地を転々とするなかで、多くの武術家と立ち会い一撃のもとに倒してきたことにより、「李書文に二の打ちいらず、一つ打てばことたりる」と謳われたという。
1934年 天津にて逝去するが、その死因ははっきりとしないが、負けた武術家の家族によって毒殺された説と、病により椅子に座ったまま死亡した説と幾つか存在する。

その弟子たち

李書文は多くの弟子を育てたようだが、正式弟子は少なく開門弟子(最初の弟子)の霍殿閣を始め、李萼堂を含む三人の息子、関門弟子(最後の弟子)の劉雲樵などがいる。
子のいなかった李書文は李萼堂を養子に迎えたという話もあるが、『達人』(フルコム)によるとその李萼堂の子は実子だとゆう。

ラストエンペラーの護衛、霍殿閣

清朝末期の皇帝「溥儀」は、国民軍のクーデターにより紫禁城を追われ、日本軍の手引で天津へと逃げ延びた。
日本軍に利用されようとしていた溥儀は、その身を護るため、李書文の弟子でもある、李景林提督と許蘭州将軍の推薦により開門弟子である霍殿閣と、その甥の霍慶雲を護衛として雇った。

当時、溥儀の護衛は摔角(中国の柔道のような武術)を使う人物が2名いたが、テストがてらの手合わせで投げることが出来ず持ち上げられ、あっさりと負けを認めた。
2人に対し霍殿閣は二本の指を差し出し、「折れたらアナタの功夫は無駄ではない」と握らせたが、その指はびくともせず、完全なる敗北を認めざるを得なかったという。
もうコレ完全なマウンティングだよね(霍氏一門の方々すいません)。

その後、傀儡国家である満州国の設立に伴い、首都である新京(現在の長春)に居を移し、滄州の八極拳士を集い護衛隊を組織した。
日本の命により、宮中にて武器を持つことも許されなかった霍殿閣たちは、部下が日本兵といさかいを起こしたことを理由に罷免され、憤死したとも言われている。

現在も長春において霍殿閣は、東北の雄として英雄視され、テレビドラマになるほどの人気をもっている。
今長春では、甥の霍慶雲の一族と弟子たちによりその武芸は霍氏八極拳として受け継がれている

最後の弟子、劉雲樵

日本で李書文の名とともに有名になった武術家が、この劉雲樵である。幼少の頃より李書文に付き、共に各地を周って山東省においては「山東小覇王」と呼ばれるほどの腕前だった。
その後、国民党に入り特殊工作員として活動。国民党と共産党の内戦の激化に伴い台湾に亡命。静かに隠遁生活を送っていたが、山東省時代の六合螳螂拳の兄弟子、張詳三との再開を機に再び武術家として活動する。

台湾総統府侍衛隊の武術教官を努め、直弟子の梁紀慈氏、徐紀氏、蘇昱彰氏などを始め、多くの人材を育ててきた。日本に李書文を紹介した、松田隆智氏もその一人である。

李書文にまつわる逸話

李書文の逸話は沢山あるが、ここでは代表的ないくつかを紹介したい。尾ひれがついて若干オーバーに感じるところもあるだろうが、とりあえず事実としておけ止めて頂きたい。

頭突き自慢の頭を潰す

山東省の「鉄頭王」と評判の男との勝負で、「私を三回打って良い、その後私が一度だけ打とう」といって打たせたがビクともせず、李書文が脳天に掌打をうって胴体にめり込ませたという。

貧弱すぎ?牽制の突きで即死させる

北京の武術家に「一手教えて欲しい」と頼まれた際、牽制の突きを当てただけで死んでしまい、弟子の劉雲樵とともに慌てて滄州に逃げ帰った。
逮捕されないように逃げた、ってエピソードが可愛らしく、筆者の好きなエピソードである。

気に食わねぇからヤッちまえ

李景林提督の元にいた頃、新しく2人の武術家が招待され歓迎の席が設けられた。その酒席の中で彼らが「自分らの武術は最強である」と豪語したことに腹を立て、彼らの帰り道に待ち伏せし、「最強ならば手合わせ願おう」とそのまま撃ち殺してしまった。

蝿殺し

粗暴な振る舞いの多い李書文が師により謹慎をさせれていた頃、家の中から槍をしごく音だけが日々聞こえてきていた。心配になった兄弟弟子が李の家を訪ねてみると、「槍の練習をしておりました」といい、壁のそばにタカる蝿たちを壁に傷一つ付けずに撃ち落としたという。

コンクリートをボッコボコ

許蘭州将軍の元にいた際には、夜な夜なコンクリートの上で鍛錬し地面をボコボコに、樹齢千年の木を打って枯らすなどしていた。ほとほと困り果てていた将軍が諌めるがゆうことを聞かず、何も知らず怪しいやつを捉えに来た憲兵を撃ち殺してしまう。
それがきっかけで、郷里に戻されたという。

メディアでの扱い

などなど、シリアルキラーレベルのエピソードを沢山お持ちの李書文だが、劉雲樵の弟子の蘇昱彰氏が実際にチョコンと打っただけで人が昏倒するのを、松田隆智氏が目撃したエピソードを見てもあながち嘘ではないと言えるエピソードの数々。
その松田氏に紹介され、武術雑誌で神格化されるにつれ、漫画・ゲーム、アニメなどに登場していくとこになる。

漫画での李書文

松田氏の著書である、拳児の外伝にて登場。本編とは直接関係内が、八極拳の凄まじさを誇るエピソードとして掲載され、その知名度をぐんぐんと一般に広めていくことになった。
先程のエピソードの一部は、拳児ないでも確認できる。

ゲームでの李書文

スクウェア・エニックスの発売した「エアガイツ」に登場。ゲームでは伝説の薬で蘇生した話

また、最近では「Fate/EXTRA」にも李書文が登場するようである。

格闘ゲーム「ファイターズヒストリー」にも李書文をモデルとしたキャラクター「李典徳」が出演する。

最後に

今回は日本でも特に有名な李書文についてスポットを当ててみたが、いかがだっただろうか?
八極拳史上最強といわれる李書文のエピソードは本当にロマンにあふれていて、面白い。

次回は誰を紹介しようか、今からワクワクが止まらない。
では、再見ツァイツェン

ハニー丸蔵

ハニー丸蔵 団員

睡眠の次にカンフー大好き。

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