祝!世界遺産 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

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『鈴木遺産』の時にもお伝えした通り、2018年7月に長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産が世界文化遺産登録されました。
いつもテレビで見るような分かりやすい世界遺産とは違い、長崎と天草地方における潜伏の歴史を表す関連の建造物、集落、しきたりなどを関連遺産として登録されています。
現在の指導要綱は分かりませんが、小学校ぐらいから江戸時代のキリスト教禁止令などについて触れますよね。
そして江戸時代、キリシタン、長崎・天草と言えば天草四郎。
その天草四郎が起こす島原の乱によって鎖国が確立し、その後潜伏へと進んでいくことになります。

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産って

長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産は、キリスト教が禁止され、島原の乱で敗れた後の、『潜伏の歴史』そのものが文化遺産となります。
その為遺産として、潜伏の始まりから1873年に潜伏が終わりを迎えるまでの間の様々な問題や試みで生まれた文化などが12ブロックに分かれて構成されています。

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潜伏の歴史について

それでは、時系列で潜伏キリシタンについて進めましょう。
キリスト教の伝来から本来は伝えた方がいいと思いますが、なかなかの長文になりますのでここでは個人的に抜粋したものを説明します。

キリシタン「潜伏」のきっかけ

  • 1563年 備前領主大村純忠が横瀬浦で洗礼を受ける(日本初のキリシタン大名)
  • 1580年 有馬晴信が日野江城で洗礼を受ける
  • 1587年 豊臣秀吉が伴天連追放令を発布
  • 1597年 日本二十六聖人の殉教
  • 1612年 岡本大八事件
  • 1612年 江戸幕府がキリスト禁教令
  • 1622年 元和の大殉教
  • 1627年 踏絵開始
  • 1637年 島原の乱

原城遺跡 出典:wikipedia 元々は信長時代は寛容でしたが、秀吉に変わり伴天連追放令が発布されます。
その伴天連追放令前に、日本初のキリシタン大名・大村純忠が熱心すぎるほど布教を行った結果、キリスト教へ改宗する人がどんどん増えていった(増やしていったともいえる?)。
しかし、政治的な問題や外国との貿易、情勢などに加え、岡本大八事件のようなことが度々起きたことで幕府は禁教令の強化やポルトガル人の締め出しの気運が高まっていきました。
そして岡本大八事件により領主が松倉勝家へ変わったことで島原の乱が起きます。もう一人、肥前国唐津藩の藩主寺沢堅高も原因の一部。
その後、本来島原の乱は圧政によるものでしたが、政治的な理由によりキリシタン迫害による暴動のみが焦点となり、結果、迫害・弾圧・鎖国へと向かっていきます。

山田ロドリゲス

キリスト教自体をスケープゴートにされてますよね

自由テキスト

潜伏キリシタンの信仰は?

  • 1641年 鎖国体制の確立
  • 1644年 最後の神父が殉教、国内で神父不在に
  • 1657年 大村郡崩れ
  • 1660年~1680年代 豊後崩れ
  • 1660年代 濃尾崩れ
  • 1790年代 浦上一番崩れ

奉行所 出典:wikipedia 宣教師が居なくなったことで、信仰を続けるに辺り宣教師が行っていたことを誰かが変わりに行う必要があります。
また、キリスト教の儀礼や行事などを隠れて行わなければなりません。
拝む対象を変えたり、信心具を隠し持ったり神社に信仰対象を祀ったりしたそうです。
18世紀になると幕府側も政権として安定していることから、社会の秩序が守られている内は一揆を引き起こさないよう細心の注意を払って吟味は穏便に済ませていたようです。
ただ、一部で弾圧は続いてはいたみたいですが。

比較的に安定の時代へ

  • 1797年 大村領外海から五島列島へ移住
  • 1805年 天草崩れ
  • 1842年 浦上二番崩れ、浦上三番崩れ
  • 1859年 長崎開港
  • 1864年 大浦天主堂が建設される 

天主堂内部出典:wikipedia一般社会とも上手く関わりながらひそかに信仰を続けていたため安定した生活が営んでいたそうです(天草崩れなどもほぼ沙汰なし)。
しかし、大村藩の間引き政策は宗教上の理由により出来ない為人口が増えたことと、五島列島に耕作民が少ないといった双方の思惑が一致し、
移住をするようになりました。
潜伏キリシタンの集落が複数ある理由になります。それぞれ移住しそこで再度集落を形成して信仰を続けたそうです。

山田ロドリゲス

移住と言っても、現代と違いインフラなんて皆無でしょうね

「潜伏」の終わり

  • 1865年 信徒発見
  • 1867年 浦上四番崩れ
  • 1868年 明治政府発足 五島崩れ
  • 1873年 キリスト教禁止の高札が撤廃される
  • 1889年 大日本帝国憲法が成立
  • 1891年 江上天主堂が完成

時代は大きく動き、ついに日本は開国を迎えました。それに伴い宣教師も来日し彼らにより大浦天主堂が建設されました。
そこでついに、プティジャン神父に自身がキリシタンであることを伝え潜伏の終わりが始まります。
その後、五島崩れが起き迫害の危機が起きましたが、諸外国の強い抗議に発足間もない明治政府は対応に苦しみます。それにより、1873年高札が撤廃され、諸外国にとっては解禁されたと認識することになります。
しかし、正確には政治判断で高札を撤廃しただけで、明治政府は公式にキリスト教を解禁してはいません。
まだ政府の基盤が脆弱なのでこれ以上の内戦リスクは避けたかったのだと思われます。公式アナウンスはなし
その為事実上、大日本帝国憲法が施行された日が潜伏の終わりだと言われる方もいます。ちなみに、大日本帝国憲法では宗教の項目は、基本自由ですが制約付となっております。

山田ロドリゲス

明治政府になったことで弾圧は相対的に厳しくなりました。

これで潜伏も終わりとなりました。その後キリシタンたちは三通りに分かれて活動したと言われています。
そのまま潜伏時に信仰していた日本式に変化した教義を信仰する方、カトリックに戻られる方、仏教などに改宗された方に分かれたそうです。
そして晴れて潜伏する必要はなくなったことで建てた教会堂たちも今回関連遺産となっております。(五島崩れ後)

江上天主堂
出典:wikipedia

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12からなる構成資産

  1. 原城跡
  2. 平戸の聖地と集落(春日集落と安満岳)
  3. 平戸の聖地と集落(中江ノ島)
  4. 天草の﨑津集落
  5. 外海の出津集落
  6. 外海の大野集落
  7. 黒島の集落
  8. 野崎島の集落跡
  9. 頭ヶ島の集落
  10. 久賀島の集落
  11. 奈留島の江上集落(江上天主堂とその周辺)
  12. 大浦天主堂

この12からなる構成資産がまとめて世界遺産となりました。
それぞれの集落は各々で信仰の方法が違ったりします。信仰した山や、キリシタンが殉教した島を拝んだり、聖画像を拝んだりしていたようです。
ということは、信仰の方法でグループを分けたりしてたのかもしれませんね。

世界文化遺産登録にあたって

当初、「長崎の教会群」で世界遺産への推薦の提出を行った。その後現地調査を行い、イコモス側から禁教期に焦点を当てるべきだという意見がでました。
その為、現在の長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連資産と名称を変更し国が推薦書の提出を行いました。
建造物としては単純に推しが弱かったのだと思います。なので禁教の歴史をメインにその関連遺産というアドバイスだったんだと思います。
諸外国側も、日本の一教会より禁教令の方が知られているはずですし。
2017年9月に再度イコモスの調査ののち、世界文化遺産への登録が決定されました。

山田ロドリゲス

およそ、6~10年の歳月を経ての登録です。

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