【ファミコン】家庭用ゲーム機の革命児!!ファミコンとの出会い

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ゲームセンターのゲームが1回100円ではなく、何回でもプレイが出来る。そんな夢のようなマシン「ファミリーコンピューター」。
発売から2年ほどでほぼ小学生のいる全家庭に普及したであろう、任天堂の大ヒット商品。

そんなゲーム大好き人間を育て上げることになった当時を振り返り、その軌跡を追ってみたい。

オラオラ任天堂の無双開始

1983年7月15日 任天堂から発売されたファミリーコンピューター。ファミコン発売以前にもテレビゲームは存在した。
直前まで隆盛を誇ったエポック社から発売されていたカセットビジョン。当時の友人宅では誰も所持していなかったが、おもちゃ屋で展示されているのを暇つぶしに遊んでいたことは覚えている。
カセットビジョンは、当時の家庭用ゲーム機のシェア率は70%で、低価格による販売が売りだったようだが(定価:¥13,500)、ファミコンの価格が¥14,800と値段では勝るものの、ドットも荒く性能では大きく下回っていた。

翌1984年、起死回生の策としてNECとエポック社が共同で開発した「スーパーカセットビジョン」をファミコンと同じ¥14,800で販売する。カセットビジョンに比べて圧倒的に性能は上がったものの、当時のハードでは抜群の高性能を誇るファミコン。
なおかつサードパーティの参戦による多種多様なゲームの数々。一気にファミコンのシェアは95%まで到達し、まさに任天堂無双の始まりだった。

初期のファミコン

発売されてまもなく、医者の息子である友人宅にファミコンはやってきた。スタートから「マリオブラザーズ」・「ドンキーコング」・「ポパイ」など、複数のゲームを所持していたのを覚えている。
日曜日は毎週のようにその子の家にみんなで集まり、2時間ほどみんなでファミコンに興じていた。この2時間というのは、当時ファミコンカセットの説明書などに2時間で目を休めなさい的なことが書いてあったように思うが、その友人宅のルールでもあったため、そのあとは、日が暮れるまで外で走り回ったものである。

当時のファミコンのコントローラーは、ラバー製の四角いボタンで、ボタンが凹んで戻らなくなる現象が当時よくあったように思う。2プレイヤーのコントローラーにはマイクがついており、筆者がゲームで使用したのは「バンゲリングベイ」が最初であったと記憶している。

お金持ちの友人宅には定期的に新しいゲームが増えていき、いくら遊んでも遊び足りないぐらい我々を虜にした。
まだ、家庭用ゲームを持ってない子供たちはゲームウォッチ系の携帯ゲームぐらいしかなく、自宅にファミコンがやってくるのを夢見たものである。

RFスイッチ(RF出力端子)

まだテレビそのものもAV端子(これすらも今では古いが……)もなく、アンテナの端子がUHFとVHFと分かれていたあの頃、ファミコンをテレビに接続するにはRFスイッチ(付属品)が必要だった。
初めの頃は親にやってもらっていたものの、段々と同軸ケーブルの芯が劣化して切れるなどの現象が頻繁に起きるようになり、アンテナの同軸ケーブルやRFスイッチの同軸ケーブルをカッターで切って芯を出し、接続をし直すという作業が必須だった。

今じゃ考えられないアナログ作業だが、まるで自分が修理工になった気分で画面が映った時の感動はひとしおだった。

ライバルはMSX?

ファミコンが各家庭にやってきた頃に、家庭用パソコンとして「MSX」というものも出ていた。ファミコンを買いにいった友人がなぜかMSXを買って帰ってきたこともあったな。
少数ではあったものの、プログラムも出来て、ファミコンとはまた違うゲームが出来るそんな優れものマシンに惹かれて購入する友人もいたものである。

コントローラーではなくキーボードによる操作がまた新鮮で、時折その友人とファミコン本体ごと交換して借りて遊んだ記憶がある。アレはアレで面白かったな。

我が家にもファミコンがやってきた

1年もすれば次々と友人宅にファミコンは到来し、持っていないのは少数になっていった。そんな中ついに我が家にもファミコンがやってきたのである。
初めてのカセットは「忍者じゃじゃ丸くん」だったと記憶している。赤い忍者「じゃじゃ丸くん」が、さらわれたさくら姫をステージの敵を手裏剣で倒して取り返すという、今の時代だとくそ面白くないだろうなと思えるゲームだが、当時は必死にやりまくったのを覚えている。

徐々に新しいゲームも増えていき、友人も我が家でゲームで遊ぶようになると、「今度はゲーム貸して?」なんて話になっていった。
そう、貸し借り時代の到来である。

貸し借り、そして又貸し

小学生の我々のお小遣いなんて微々たるもの。少ないお小遣いを貯めてゲームを買うのだから、購入するゲームのチョイスも真剣だった。少ない本数ながらも色んなゲームを遊ぶためには、友人が飽きてきたゲームと自分のゲームを交換して貸し借りするシステムが自然と確立していったのである。
そうなってくると、購入する際のチョイスの仕方も変わるようになる。「あいつがコレ持ってたな。」「あいつが今度買うっていってたな。」など、自分がやりたいだけでなく友人が持ってないであろうゲームをチョイスするのである。

当然読みが失敗して、被ってしまったり、面白くなくて見向きもしてもらえないゲームだったりすることある。そうなるとそれは取引要因にならなくなってしまうので悔しい思いもしてきた。
貸し借りが横行しだすと、次なる問題が発生しだした。又貸し問題である。

友人にゲームを返して貰いにいくと、「あーアレは、〇〇が貸してっていったから貸したよ」等と平気でいうやつが現れたのある。当然「なんで貸すんだ!!」って揉めて大喧嘩することになるのである。
この問題が段々と肥大化していった結果、小学校の帰りの会などで先生からゲームの貸し借り禁止令のお触れが出て、苦い思いをした時期もあった(みんなそれでも貸し借りしてたが……)。

ゲーム屋さん登場

ドラゴンクエストなど、じっくり遊べるゲームが主流になってくると、大体みんな同じものを買うようになっていき、借りたくてもクリアするまで貸せないといった、今までとは違う流れが生まれていった。
ホイホイと新しいゲームを買うことが出来ない層にとっては、これは由々しき問題であり、飽きてしまったゲームをとにかくやり続けることしか出来なくなっていったのである。

そんな残念層を狙ったサービスがその頃には登場しだす。ゲームのレンタル及び中古ゲーム販売ショップの出現である。

1983年に任天堂がファミリーコンピュータを発売したのに前後して、全国各地のマイコンショップが主にパーソナルコンピュータ用のゲームレンタルを開始した。しかし、こうした店の大半では「レンタル」とは名ばかりで顧客がカウンターにゲームのタイトルが書かれた「貸出票」を持って行くと店員がその場でフロッピーディスクやテープメディアをコピーして手渡す、またコピーを行わないレンタル店舗でもコピープロテクト解除ツールもレンタルあるいは併売を行なっているなど違法コピーが公然と実施されていたため、メーカーの反発を買っていた。
1984年、日本レコード協会他と日本レコードレンタル商業組合の間でレンタル条件に関する合意が形成されたのに伴い著作権法が改正され、貸与権が創設されたと同時にメーカー側は刑事・民事両面での対策を進め1986年にはソフマップに対してレンタル禁止の仮処分命令が下される。
これに対し、任意団体・日本マイコンソフトレンタル協会を設立してメーカー側との協議を模索する動きも存在したがメーカー側は「レンタルは違法コピーの温床」との主張を崩さず協議を一切拒否し、1988年頃には「潜り」の店舗(中古販売したソフトを3日以内に同じ店舗に買い取りに出すと中古売価の80~90%で引き取る、などの中古販売の体を装うのが主な手口)を除いて日本におけるゲームレンタルはほぼ壊滅状態となった。

これ当時は知らなかったが、レンタル自体違法行為だったのね(苦笑)。それはさておき、我々残念組にとっては実にありがたいシステムで、2・300円ほどで2・3日ゲームが借りられたのだから。
レンタルも良かったのだが、やはりすぐ返さないといけないし、子供は自由にゲームが出来るわけではなかったので殆どできないままで返却などの事態もおきてしまっていた。

それはもう死活問題ですよ。少ない小遣いで借りたのに、ゲーム出来ないまま返すなんて……。しかーし、自分が飽きたゲームを買い取り、みんなが飽きたゲームを売ってくれるそんな素晴らしいお店の出現である。
あ、ちなみにレンタルショップは学校で禁止となり、子どもたちの来なくなったそのお店はしばらくすると潰れていた。

中古ショップが出来たことで、こぞってゲームを売りに行き、新しいゲームを仕入れるという我々ちびっこゲーマーにとっての新しいシステムの誕生である。
飽きたら売り、やったことないゲームを買ってまた売る。そんな日々を繰り返しながら日々を過ごしていたのである。

ゲームを高く売るためには、カセットのパッケージ・袋・付属品・説明書が美しいほど価値が高かったため、みんなとにかくきれいに使うようになっていった。
ゲームを乱暴に扱うようなやつは段々と人から借りれなくなっていくのである。

まとめ

筆者が高校生までファミコン無双は続き、充分なファミコンライフを楽しめた。あの時代、ゲームカセットが起こす様々な事件は、社会のしくみを学ぶ良い機会だったと思う。
貸し借り、売買。どうすれば価値を高められるかなど、今の人生で役立つ基礎を築けたと思っている。

ファミコンよ!青春をありがとう!!

ハニー丸蔵

ハニー丸蔵 団員

睡眠の次にカンフー大好き。

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